光源氏計画 20
あたしは2週間分の着替えを持って、道明寺邸を訪ねた。
入口にいる警備員は、あたしの顔を見るなり笑顔でドアを開けてくれ、家の中に入るとサッと数人の使用人達がホールに集まり、挨拶をしてあたしの荷物を持ってくれた。
少しするとタマさんも現れて
「待っていたよ。優勝出来たんじゃね」
「はいっ、タマさんのおかげなの。ありがとう。……ところで司は?」
もう日本にいるの? って聞くと、
「今夜お帰りになるって連絡をもらっているから、もう少しお待ちください。先に部屋へ案内しましょうね」
歩き出すタマさんの後ろについていき、2週間お世話になる部屋を教えてもらう。
一枚のドアの前に立ったタマさんは、
「この部屋を使ってもらおうと、みんなで準備しておいたんじゃよ。こっちの隣は司さまの部屋」
「司の隣なの? すごい。嬉しい」
これなら帰ってきたら、音で分かるよね。いくら防音がしっかりしていてもドアの開閉とか……。
……う~ん、分からないのかな……。
部屋の中を案内され、中の設備の説明を受ける。
入ってすぐはソファーなどが置かれてある、くつろぎのリビングスペースになっている。
その部屋の中にある右の扉を開くと、もう一つ部屋があった。ベッドルームだ。
「なんかホテルのスウィートみたい……」
道明寺邸はどの部屋も天井が高く、照明もお洒落だ。
あたしの言葉に微笑んだタマさんは、ベッドルームにある別のドアも開けた。
「ここがバスルームです。向こうがトイレ。あちらがウォークインクローゼットですので、お荷物の中のお洋服はあちらへ片付けさせていただきます」
タマさんの言葉の後、一緒にいた使用人が荷解きを開始した。
「あ、自分でしますよ」
そんなことまでしてもらうつもりはなかったから、慌てて作業を止めさせる。
使用人はあたしの言葉に動じた様子もなく、
「触ってほしくない荷物などございましたら、お知らせください」
触ってほしくないもの……なんて特に持ってきてないし、なら甘えてもいいのかな……。
あたしが一瞬悩んだ隙をついてタマさんが、
「蛍お嬢様、これはこの者達の仕事でございます。どうか遠慮なさらず指示をなさって下さい」
仕事……。
ならあたしが勝手に取り上げるわけにはいかないよね。
「それじゃお願いします」
荷解きを任せて、タマさんと最初のリビングルームに戻ってきた。
凄い贅沢な部屋だなぁって思っていると、ベッドルームと反対側の左にもドアがあった。
「タマさん、こっちは何?」
ドアを開けると、中は小さな部屋。
「ここにコーヒー豆や茶葉がすべて用意されております」
水道にガスコンロ。まるでここは小さなミニキッチンだった。
棚にはカップなどの食器もあり、運ぶためのワゴンも用意されている。
「へぇ……。あ、タマさんに教わった司が好きだって言う豆が置いてある」
司の好きなコーヒーや紅茶。入れ方も司好みにちゃんと教えてもらっていた。
この2週間の間に、あたしの入れた物を飲んでもらえるのかな……。
そう思うとワクワクが増してくる。
「そしてこちらのドアを開けると、司様の書斎です」
「……へ?」
タマさんは入ってきた方と逆の扉を開けて中に入る。
後ろに続くと確かに高そうな机が用意されている部屋。
固定電話も置いてあり、ガラス棚には高そうなお酒が並んでいた。
「そしてこちらが司様の寝室になります」
書斎を横切り、ドアを開けると中には大きなベッド……。
つまりわざわざ廊下にでなくても、司の部屋とあたしの部屋が行き来できるって事だ。
……うわぁ。
「なんか夫婦の部屋みたい……」
驚いたあたしの顔を満足そうに見たタマさんは、
「蛍お嬢様がお泊りになるっていう事で、急遽改装をしたんですよ」
え……。改装って……。
あたしが泊まるって言ってから1週間しかたってないのに……。
……すごい。さすがは道明寺邸。司に仕えている人達だ。
「司様のお世話、頼みますよ」
タマさんの言葉にあたしは目が潤みそうになりながら、抱きしめてお礼を言う。
「ありがとうタマさん。あたし頑張って司のお世話をするね」
「はい、任せましたよ。蛍お嬢様」
夜22時を過ぎた頃、道明寺邸の管制塔にいる使用人から連絡が入る。
司の乗ったジェットがもうじき館に到着するらしい。
使用人総出で玄関に出迎えの準備をする。あたしもお気に入りのワンピースを着てタマさんの横に並んだ。
3年半振りの司。
あたしは、あれからもう少し背が伸び、167㎝になった。
外見は劇的に変わってないと思うから、前みたいに「お前誰だ?」って、驚かれる事はないと思うけど……。
昔と同じく少しの不安を胸に、期待の早鐘が身体中に鳴り響く。
そして玄関のドアが開き、司が姿を現した。
タマさんを始めとするみんなが腰を深く曲げるので、あたしも右にならう。
司が中に入ってきた気配を感じたら一礼を止め、タマさんは顔を上げたのであたしも同じようにする。
「お帰りなさいませ。司様」
「おうタマ、元気にしてたか?」
「見ての通り、息災でございます。司様の子供を抱くまではこのタマ、まだまだ死ねません」
「ははっ。またそれかよ……」
じゃ、一生死ねねぇなって言ったあと、横にいるあたしに気付いた司の瞳孔が開いた。
「お帰りなさい。司」
満面の笑みで挨拶をすると、驚きを隠さない司が、
「お……前、蛍か?」
「うん。久しぶり」
やっと会えた。
「……なんでここにいるんだ?」
「司に会いたかったから」
「俺に……って、もう夜だぞ。こんな時間に出歩いたら類が怒るだろ」
……こんな時間ってまだ22時。
タマさんから聞いた話だと、司はよく夜遊びしていたって言うし、そんな驚く時間じゃないと思うんだけど。
「大丈夫だよ。ちゃんと言ってあるもん」
「だから……って」
「ね、長時間のフライト疲れたでしょ。部屋に入ってゆっくりしよ。あたし鞄持つよ」
司の後ろに控えている従者から、鞄を受け取ろうと手を出す。
従者はどうしようって目を泳がせるが、あたしの後ろを見た瞬間顔が「サッ」と青ざめて司のビジネス鞄を渡してくれた。
あたしは「ありがとう」って目でお礼を言って、司の後ろに立つ。
パパが仕事から帰ってきた時、ママが鞄を受け取って一緒に部屋の中へ入るってやつ。
やってみたかったんだ。
えへへ、嬉しい。
司の鞄を抱きしめると、タマさんや館の使用人達も嬉しそうに笑ってくれた。
「なんでそんなもん持ちたがるんだ?」
「いいじゃん。疲れたでしょ? シャワー浴びる?」
あたしが歩くように促すと、足を進めて真っすぐ部屋へ向かった。
「……そうだな。まずは汗を流すか。タマ、あとで書斎に飲み物運んでくれ。もう少し確認する書類があるから」
「畏まりました」
前を歩く長身の司を見ながら、嬉しいって気持ちと同時に少し暗い感情が芽生える。
……これは寂しいって気持ちなのかな……?
司はあたしと会えて嬉しいって思ってない……?
あたしはすごく嬉しくて、にやけそうになる顔を必死で我慢しているのに……。
あたしとは違う温度差。
……ううん。落ち込まない。
勝負はこれから。まだ始まったばかりだ。
書斎に入り鞄を机の上に置くと、
「じゃぁな蛍」
「いってらっしゃい」
シャワーを浴びるためにベッドルームへ向かった司を笑顔で見送る。
廊下に出るとタマさんがいて、
「飲み物を運ぶのは20分後くらいで大丈夫ですよ」
と教えてくれた。……それって、
「あたしが出していいの?」
「はい、お任せ致します」
わぁ、やったぁ。
「もし司様に私の事を聞かれたら、もうタマは年なので先に休みましたとお伝えください」
「うん、伝えときます。タマさん、おやすみなさい」
「おやすみなさいませ。蛍お嬢様」
タマさんが杖をつきながら廊下を歩いて行く姿を見送り、一度隣の自分の部屋へ戻る。
そして司に繋がる部屋のドアを開け、給湯室でお湯を沸かし始める。
何がいいかなぁ。司はコーヒーが好きってタマさんが言ってたし……これから仕事をするんだけど……でも長時間のフライトで疲れているだろうしなぁ。
ちょっと猫舌気味だとも情報を得ている。
それだとアイス系のドリンク……。でも体を休めて欲しいしなぁ。
悩んだ末、あたしはほうじ茶を用意した。
スマホで時計を確認してキッチリ20分。
お盆の上にお茶を入れた湯呑をのせ、司の部屋をノックする。中からの返事が聞こえてからドアを開けると、思わずお盆を落としそうになった。
……っ。
……バ、バスローブ姿……。
……部屋を訪ねるのが早すぎた?
入口で真っ赤になって固まっているあたしに気付いた司は、タオルで髪を拭きながら
「なんだ、お前が持ってきたのか?」
「……う、うん」
あたしは何とか返事をして、ブリキ人形のような動きでデスクの上にお茶を置く。
ドキドキが凄い……。心拍数上がり過ぎだよ……。
空になったお盆を両手で抱え、こっそりもう一度司の方を見る。
「あ、髪……」
「……あ?」
「髪の毛がストレートになってる」
あたしの言いたい事が分かった司は「ああ」っと言ってから、
「天パは髪が濡れると、ストレートになんだよ」
「そうなんだ……」
司の顔と声なのに、司じゃないみたい……。
思わず見惚れていると、
「タマはどうしたんだ?」
「タマさんは「もう年だから先に休む」って言ってた」
「はぁ? なんだそれ……。ってか、お前家に帰らなくて大丈夫か? 類が怒鳴り込んで来たリしねぇだろうな」
「大丈夫だって言ったじゃん。あたし司が日本にいる間は、この家に泊まってもいいってパパから許可もらってるし」
「許可って……なんで?」
……その「なんで」は何にかかってるんだろう。
パパがなんで許したか? なんで泊まるのか?
一瞬考えてから、
「パパとは、TOJに優勝したら泊まっていいって約束してたの」
「……お前、あれに優勝したのか? すげぇな」
えへへって照れ笑いをする。
誰に褒められるより、司に言われるのが一番嬉しい。
結果発表は自分で言いたかったから、まだ司には知らせてなかったんだ。
「それで……えっと……ここでお世話になるのは……行儀見習いのため」
本当は花嫁修業とか言いたいけど、まだ司があたしの事をそう見てないって分かってるから、ここは一歩引いた答えにした。
でも大丈夫。あたしの計画ではこの2週間で絶対距離を縮めて見せるんだから。
「ああ、それでお前が持ってきたのか」
「うん。タマさん直伝のお茶の入れ方だから、味は大丈夫だよ」
ニコって笑うあたしに、司もフっと笑った。
「……そういや類が、蛍が入れた紅茶が美味いとか言ってたな」
それNYで会った時にパパが言った言葉だよね。そんな事覚えててくれたんだ。
「今日は疲れを取って欲しくてほうじ茶にしたけど、明日は紅茶にするね」
「……ああ」
明日の約束。
わぁ、いいなぁ。こういうの。
そうだよね。明日があるんだよね。
このままずっと一緒にいられればいいのに……。
「司、そろそろ着替えないと風邪ひくよ」
いくら空調完備がしっかりしていても、季節は10月末。夜はそれなりに冷え込む。
このあと仕事するって言ったけど、パジャマでいいのかな……。
堅苦しい服はNGだよね。司の普段着ってどんなのだろう。
「別にこのままで構わねぇよ。少し目を通したい物があるだけだし」
「じゃ、パジャマに着替える?」
パジャマを用意しようと、司の寝室に向かうために足を動かすと、
「俺はいつも寝る時裸だから、パジャマなんか持ってねぇよ」
は……はっ……裸ぁ……。
思わず上半身裸を想像してしまい、収まってた顔がまた熱を持ち始める。
か、下半身は無理……。
パパのすら見た事がないから想像できないっ。
「ぷっ……。お前、さっきから喜怒哀楽激しいな。すぐ顔に出る」
そ、それは司にだけだよ。
司の前では、人前でするお嬢様っていう仮面が剥がれちゃうんだから……。
「まぁ、俺の事はもう心配いらねぇから蛍も寝ろよ」
「あ、うん……」
司に言われたら逆らえない。もっとこうしていたいけど仕事の邪魔もできないし……。
お盆を返すため給油室のドアに手をかけると、
「おいっ。なんだ? そのドアは?」
「……?」
司の大声に、ドアノブに手をあてたまま振り返る。
「いつの間にそんなドアが出来たんだ? お前さっきもそこから入ってきたのか?」
「うん」
そうだけど……。あれ……? 司も知らない事だったのかな……。
「ここ給湯室のドアだよ。タマさんが先日改装したって言ってた」
あたしの説明に額に手を当て「はぁ……」って息をついた司が、
「タマか……。何考えてんだアイツ……。悪かったな大声出して」
「ううん、そりゃビックリするよね。知らない間に自分の部屋にもう一つドアが出来てたりしたら」
「……ああ」
「司の家だから隠し通路とか、隠し部屋とかありそう。本棚の本を動かしたら壁が動いてドアが開くってやつ」
なんでか分かんないけど、ふさぎ込んでしまっている司を元気づけたくて、ワザとおどけたように言うとニヤっと笑った彼が、
「あるぜ、今度見るか?」
ほ、本当にあるの?
凄い。道明寺邸っ。
あたしが感動して目を大きく開けると、
「ぷっ……その顔っ」
なっ……う、嘘なわけぇ……。
くっくっくって笑う司に騙されたって怒るが、もちろん本気では怒ったりしていない。
ちょっとでも気晴らしになったならよかったって気持ちの方が大きくて、笑ってくれてホッとした。
「それじゃ部屋に戻るね。仕事頑張ってね」
「おう、おやすみ」
「おやすみなさい」
給油室の中に入り、お盆や使った道具などを片付けてから自分の部屋のドアを開ける。
リビングルームを横切り、寝室へ戻るとスマホを開く。時刻は23時を回ったところ……。
いつもならもう少し机に向かったりするかも知れないけど、今日は司に会えた事で頭ン中がフワフワしているからきっと勉強しても頭に入ってこないよね……。
パジャマに着替えると、さっきの「裸」の話を思い出してまた顔が赤くなる。
わ、忘れろ……あたし。
その事は想像しちゃダメ……。
手で仰ぎながら顔の火照りを冷まし、ベッドに横になってLINEを開く
『また明日ね。おやすみなさい』
って打つと、1分もしないで返事が返ってきた。
『早く寝ろ』
いつもとは違うリアルタイムの内容に笑みがこぼれる。
嬉しい。
司がそばにいる。
あたしはスマホをギュッと抱きしめた。
今夜はきっと興奮して寝れないだろうって思ったけど、昼間のTOJなどの疲れがあるのか気が付いたら眠っていた。
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